2012年4月25日更新!!
【STEP121】シノン

 近年の消費者の傾向として、やや未成熟な葡萄に由来する青く植物的な風味は、白ワインでは広く許容されるようになってきたものの、赤ワインでは逆に拒絶されるようになってきたように思います。前者の代表は、青草の匂いのするニュージーランドのソーヴィニョン・ブランで、後者の典型はシノンに代表される、カベルネ・フランから醸造されたロワールの赤ワインです。

メトキシピラジン

 メトキシピラジンは、英語で「ハーベイシャス」(herbaceous)とか「グラッシー」(grassy)と表現される、青草のような香りをワインにもたらす芳香成分で、カベルネ・ソーヴィニョンやカベルネ・フラン、ソーヴィニョン・ブラン等の葡萄品種に自然に含まれています。冷涼な気候の下で栽培された果実や、生理的成熟に至る前の果実に多く含まれる一方、果実が成熟するにしたがい、その濃度は減少します。メトキシピラジンに由来する香りは、微量であればワインに夏草のような、好ましいハーブのニュアンスを与えるのに対し、過剰に含まれていると、強烈な青草やアスパラガスの匂いのする、不快なワインになりかねません。

 カベルネ・ソーヴィニョンやソーヴィニョン・ブランには少なくとも3種類のメトキシピラジンが含まれていることが確認されており、特に重要なものはIBMP(2-イソブチル-3-メトキシピラジン)とIPMP(2-イソプロピル-3-メトキシピラジン)の2種類で、IBMPがピーマンやグーズベリーの香りをもつ一方、IPMPはIBMPよりも土臭いニュアンスを帯び、「加熱調理したアスパラガスの香り」と表現されています。IPMPの香りはよく、ニュージーランドのソーヴィニョン・ブランに見つかります。

シノン

 シノンはロワール河中流域の小さな美しい町で、ロワールの支流であるヴィエンヌ川に面しています。川沿いの丘の上には、1429年にジャンヌ・ダルクがフランス王シャルル7世に謁見したシノン城の廃墟がそびえ、フランス人にとっては歴史的な場所です。シノン城の現存する時計塔のなかにはジャンヌ・ダルク美術館があり、この「オルレアンの少女」がいかにフランス人から愛されているかを感じ取ることができます。

 シノンではごく少量のロゼと、シュナン・ブランの白もつくられているのですが、大部分はカベルネ・フランから醸造される赤ワインで、ロワール地方を代表するものとなっています。シノンの赤ワインを有名にしたのは、『ガルガンチュワ物語』や『パンタグリュエル物語』で知られる人文主義者のフランソワ・ラブレー(1494-1553)で、シノン近郊で生まれ育った彼の著作には、頻繁にこのワインが登場します。

 シノンの赤ワインには、畑の位置によって、大きくふたつのスタイルが存在します。ひとつは、川沿いの平地の畑からのもので、ボージョレー・ヌーヴォーのように軽く、フレッシュな日常消費用ワインとなります。シノンの赤ワインの名声を担ってきたのは、テュフォーと呼ばれる石灰岩を多く含んだ、南向きの斜面の畑のもので、色調が豊かで凝縮感があり、10年程度のボトル熟成で美しく変貌します。今から100年ほど前、シノンの赤ワインはマルゴーと同等に扱われていたのですが、もちろんこれは後者の、斜面の畑のものでした。

低迷と復活

 私が学生時代を過ごした1980年代後半、シノンの赤ワインは首都圏のフランス料理店の必須アイテムで、フランスで修行を積んだシェフのいるような最先端の店で、シノンを扱っていないところは皆無であったように思います。輸入業者の希望小売価格が2千円前後と、価格的に扱いやすかったこともあり、ロワールの赤ワインは人気アイテムでした。しかしながら、近年の日本の消費者は、分かりやすい味わいのブルゴーニュやローヌに傾倒し、植物的な風味の残るロワールの赤ワインには興味を示さなくなっているようです。

 ロバート・パーカーに代表される米国のワイン批評家が、冷涼な畑で栽培されたカベルネ・フランの赤ワインにみつかる、「青ピーマン」とか「鉛筆の削りカス」と表現される香りを好まないためか、こうした批評家が世界的な影響力をもつようになるにつれ、ロワールの赤ワインは輸出市場で困難に直面しました。また確かに、1990年代に出荷されたロワールのカベルネ・フランには、未成熟な果実に由来する風味が強すぎるものがあり、ワインを飲みなれない一般消費者にはハードルが高すぎるものでした。

 しかしながら近年、優良な生産者は最新の栽培技術によって、かつてカベルネ・フランの個性と考えられていた青臭さから脱却しようとしています。メトキシピラジンは、成熟度の低い葡萄果に高濃度で残留するため、葡萄樹の樹勢を抑えて、葡萄樹1本あたりの果房数を減らし、成熟度の高い果実の収穫を目指しています。具体的には、葡萄樹を高く仕立てて葡萄樹の過剰なエネルギーを逃がしたり、畑の畝間にイネ科の草などを植えて樹勢をコントロールするようになりましたし、登熟期に過剰な果房を間引きすることにより、熟度の高いカベルネ・フランを収穫できるようになってきました。収穫直前には、葡萄樹の葉の一部を取り除いて、果房に直射日光を当てることにより、メトキシピラジンの濃度を下げています。この結果、近年のヴィンテージの優良な生産者のシノンからは、青ピーマンを思わせる植物的な風味はみつからなくなっており、ブラインド・テイスティングで「シノン」と答えることが不可能なほど、豊かな味わいに仕上がっています。

 シノンの代表的な生産者には、シャルル・ジョゲやベルナール・ボードリー、ドメーヌ・ドゥ・ロンセやフィリップ・アリエなどがあるのですが、シャルル・ジョゲとドメーヌ・ドゥ・ロンセは現在、日本に輸入されていないようです。シノンが日本人好みの、繊細でおだやかなワインであることを考えれば、一刻も早く再輸入されることを願っています。

第123話『ジャンヌ・ダルクのワイン(後編)』 のワイン:
シノン・レ・グレゾー ドメーヌ・ベルナール・ボードリー

 シノンのワイン生産家に生まれたベルナール・ボードリーは、ブルゴーニュのボーヌ醸造専門学校で学んだ後、フランス味覚研究所のジャック・ピュイゼ教授とともに醸造コンサルタントとして働いていた。自らのワイナリーを設立したのは1975年で、現在ワインメーカーを務める息子のマテューは、カリフォルニアでのワイン醸造も経験している。30ヘクタールにおよぶ自社畑にはカベルネ・フランとシュナン・ブランを植え、除草剤や化学肥料を使わず、収穫は手摘みで行っている。レ・グレゾーは丘の裾にある、小石混じりの畑で、栽培されているのは樹齢約50年のカベルネ・フラン。ワイン法上、シノンではカベルネ・ソーヴィニョンを25%まで植えてよいことになっているが、ベルナール・ボードリーでは赤ワイン用にはカベルネ・フランしか栽培していない。葡萄はコンクリートの発酵槽でアルコール発酵を行い、その後オークの旧樽で12か月程度熟成させる。成熟度の高い葡萄だけを用いるため、かつてロワールの赤ワインに広くみられた、青い植物的なニュアンスはほとんど感じられない。ベルナール・ボードリーでは3つの区画名入り上級シノンを瓶詰めしており、斜面底部の「ル・クロ・グイヨ」と斜面下部の「レ・グレゾー」、急斜面の「ラ・クロワ・ボワゼ」を比較試飲すると、ラ・クロワ・ボワゼが常に色が濃く、凝縮したワインで、ワイン生産における斜面の重要性がよく理解できる。
(原稿執筆時点における2009年ヴィンテージの店頭価格は3,000円/750ml程度)

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