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 帰国したらアメリカを諦めることになるんじゃないかっていう気持ちがあった───

 ※このインタビューは09年8月に行われました。

 実際、6月にスラムダンク奨学生としての14か月を終えて帰国したときには、並里はまだアメリカの大学に進むつもりでいた。いくつかの大学からはプレイを認められて誘いの声もかかっていた。ただ英語力不足から十分な成績をあげることができなかったため、奨学金を得ることは難しいという厳しい現実もあった。それでも、そのときは自分で授業料を払ってでも、行く先の大学がどんな環境やレベルであろうと、アメリカにしがみつくぐらいの気持ちでいた。そうでもしないと、NBAに入るという自分の夢は途絶えてしまうと思っていたのだ。

「日本に帰ってきたらアメリカを諦めることになるんじゃないかっていう気持ちが自分でもあったんです。だから、どうしてもアメリカの大学に行きたかった」と並里は振り返る。

 その気持ちに変化が生まれたのは、帰国から約2週間後、母校の福岡第一高校を訪れ、井手口孝監督と進路についての話をしたときだった。その時、二人の間ではこんなやり取りがあった。

「お前、もう日本に帰ってきたらどうだ?」と井手口監督が聞いてきた。

「先生、僕にアメリカを諦めろって言うんですか?」と並里は返した。

「いや、そうじゃない。お前の最終目標はどこだ? アメリカの大学か?」

「いや、NBAです」

「それなら、日本に帰ってくるっていうことはNBAを諦めるという意味じゃない。日本のプロに行って、英語の勉強をしながらNBAに挑戦するっていう道もあるんだぞ」

 そう言われて、並里は初めて気持ちを切り替えることができた。実際、もしアメリカの大学に行ったとしても、成績が足りなければ練習にも参加できず試合にも出られないこともある。もちろん、日本に戻ってNBAを目指すことは簡単ではないが、同じ困難な道なら、バスケットボールができなくなるような試練は避けたかった。

 アメリカでのバスケットボールを経験した選手が多く、現在もNBA挑戦を続けている田臥、川村の両選手がいるブレックスからオファーをもらえたことも大きかった。

「川村さん、(田臥)勇太さんみたいに、チャンスがあったらアメリカにいけて、アメリカを目指している選手が何人もいるということだったので、ブレックスに決めました」

 3歳年下で、自分と同じように大学に行かずにプロの道を歩み始めた並里を、川村は弟分のように思っているようだ。もともと並里が福岡第一高校にいた頃から親交があり、よく連絡を取っていたのだという。そんな並里について、川村はこっそりと、それでいて嬉しそうに言った。

「あいつ、俺に弟子入り志願してきたんですよ」

 それに対して並里は肯定も否定もせず、「まぁ、言わしとっていいですよ」と笑った。表向きは、あくまで対等な関係なのだ。

「川村さんは夏にアメリカでNBA選手を見てきているので、いろいろな話を聞いてます。自分もモチベーションが上がって、もっとやろうと思う。川村さんとも(田臥)勇太さんとも、いい関係ですね」

 その田臥は、練習後、別の取材を受けていた帰りがけに、並里に向かって「まったく、お前のことばかり聞かれるよ」とぼやいてみせた。

 高校時代からの人気スター選手。同じポイントガード。そして高校卒業後に渡米と、似たような道を歩んできただけに、以前からよく比べられてきた。

「本当に同じ道を歩んでいるという感じはありますね」と田臥も言う。「彼も、彼次第でまだ道は開けると思うので、ここを踏み台として上を目指してもらいたいですね」

 田臥がそうであるように、並里もまだアメリカを、NBAを諦めたわけではない。むしろこれからが勝負である。シーズンを前に、並里は宣言した。「全力でNBAを目指します!」

井上雄彦 応援メッセージ

並里選手のプレイを日本で、JBLで見ることが出来ることに胸を躍らせています。スラムダンク奨学金第一期生として、アメリカでの14ヶ月間で学んだこと、経験したことを生かし、日本のバスケット界に新たな風を吹き込んでくれることを期 待しています。

彼の魅力はたくさんありますが、私のいちばん好きなところはその志の高さです。 目の前の一瞬一瞬を大切にプレイすること、それが自らの夢をつなぐただひとつの道。失敗を恐れず、目標を失わず、挑戦し続けてほしいと思います。