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サウスケントでやって自信になった。だから全然問題ないです───

 ※このインタビューは09年8月に行われました。

並里 成

リンク栃木ブレックス #14
ポジション/G
身長/172cm
体重/73kg
1989年8月7日生まれ
20歳

スラムダンク奨学生第1期生として14ヶ月の米国留学を経験。福岡第一高校時代は、1年次の選抜大会で優勝し、ベスト5に選出。2年次にはU-18日本代表にも選出された。その華麗なプレイから”ファンタジスタ”と呼ばれた。

 夏の日本の体育館は蒸し暑い。湿気を含んだ空気の中で動くと、汗が噴き出してくる。7月にJBLのリンク栃木ブレックスに入団した並里成は、2年ぶりの日本の夏を身体で感じながら、コート中を走り回っていた。

「日本のバスケのスタイルは走ってばかりできついですね」と後からこぼした。スラムダンク奨学金1期生として留学していたアメリカのプレップスクール・サウスケント校でも、ヘッドコーチのケルビン・ジェファーソンはアップテンポなゲームを目指していたのだが、それは日本の走り回るバスケットボールとはまったく違った。日本と比べるとむしろセットプレイが多く、並里もフィジカルの強い選手の中でいかに戦うかを考えて身体を作り、攻め方を工夫し、学んできたのだった。

 近い将来にまたアメリカに渡り、NBAを目指したいと思っている並里は、そんなアメリカのやり方も忘れたくないのだと言う。

「アメリカのセットオフェンスでの攻め方を覚えて帰ってきたので、そのパワープレイを日本でもやろうと思ってやってます。なおかつ、日本の走りながら動いたりするプレイもあるから、大変です」と言う。

 アメリカでの大学進学を断念、20歳にしてプロの世界に飛び込んだ。味方も対戦相手も、まわりは年上の、経験豊かな選手たちが揃った世界である。だが、怖いもの知らずの若者らしく、そのことに何の不安もないという。

「サウスケントでやって自信になったっていうのもあるんです。サウスケントのチームメイトの中には、けっこうレベルの高い選手がいて、もしあいつらがブレックスに入ったらバリバリにやれるんじゃないかっていうくらいだった。その中でやっていたから、日本のプロだろうが、全然問題ないです」

 聞きようによってはかなり大胆な発言だが、独特の朴訥とした口調で話されると、そういうものなのかと思えてしまうから不思議だ。

 ブレックスのチームメイト、田臥勇太は、並里の印象を「話してみると、のんびりしてマイペースで、沖縄の子だなって思いますね。最初に会ったときには、バスケットが好きでしかたないっていう印象を受けました。20歳で、まわりが年上ばかりなんで、かわいがられる存在だと思います」と語る。

 ほとんどの日本人選手が、大学を出てから入るJBLだけに、20歳の並里はリーグ最年少だ。そして、ブレックスには並里と同じように若くしてJBLの世界に入った先輩が二人いる。21歳のときにトヨタ自動車アルバルクに入った田臥と、19歳でOSGフェニックスに入った川村卓也だ。

 この二人の存在が、並里がブレックス入りを決めた最大の理由だった。単に二人が若くしてJBLに入った先輩だからというわけではない。それよりも、二人が日本でプレイしながら、今もまだ視線の先にアメリカがあるからだった。5年前に日本人として初めてNBA選手になった田臥は昨シーズンからJBLに戻ってきていたが、今もNBAにこだわり、再びNBAに戻ることを目指している。川村も、そんな田臥に刺激を受け、今年夏に渡米。NBAへの登竜門であるサマーリーグにフェニックス・サンズのサマーリーグ・チームの一員として参加し、1試合に出場した。来年はさらに上を目指そうとしている。

 彼らのように、日本でプレイしながらアメリカに挑戦し続ける選手がいて、それを応援してくれるチームだということが、並里がブレックスを選んだ一番の理由だった。ブレックスとの契約にも、田臥や川村と同じように、アメリカでのプレイを優先できるという条件が盛り込まれているのだという。